大判例

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東京地方裁判所 昭和22年(エ)5号 判決

原告

東京都世田ヶ谷代田一丁目八十八番地 賀屋正雄方

近藤昇

右訴訟代理人辯護士

岡村玄治

石井康

被告

右代表者内務大臣

木村小左衞門

右指定代表者内務事務官

鮎川幸雄

岡本和夫

主文

原告が日本の國籍を有しないことを確認する。

訴訟費用は被告の負擔とする。

事実

原告訴訟代理人は主文第一項と同旨の判決を求め其の請求原因として原告は大正十三年十二月二十五日日本人である訴外亡近藤祿を父として亞米利加合衆國で生れたため同國の國籍を取得したが日本の國籍留保の意思表示がなされなかつたので日本の國籍を喪失したものであるところその後原告は日本に住所を有するに至り昭和十七年十月二十二年には原告名議の國籍囘復許可申請書が内務大臣に提出され右申請に對し昭和十八年一月二十八日内務大臣の許可があり次で戸籍法による國籍囘復の屆出が爲されて現に愛知縣西春井郡西春村大字野崎六十一番地近藤繁雄の戸籍にその弟として記載されてゐる。然し原告は未だ曾て日本の國籍を囘復する意思を持つたことさへなく右許可申請は亡文祿が生前當時既に年齡十五年を超えゐた原告の知らぬ間に原告の氏名る冐用して爲したもので當然無效のものであるから之に對する内務大臣の前記許可も原告に國籍を囘復せしめ得る效力が無かつたものと謂うべく從て原告は日本の國籍を囘復したものではない仍て爐告が日本の國籍を有 ないことの確認を求める爲の本訴請求に及んだと述べ立證として甲第一、第二、第四號證の各五甲第三號證の五(イ)(ロ)を提出し證人近藤こうの證言原告本人訊問の結果を援用し乙第一號證は成立を否認すると述べた。

被告指定代表者は本案前の辯論として行政廳の處分に對する訴は日本國憲法の施行に伴う民事訴訟法の應急的措置に關する法律により始めて民事訴訟の方式により提起し得るに至つたものであり又法律は特に遡及して適用せられべき旨の特段の規定がない限り當該法律施行の事項に適用せらるべきものではないのであるが前示法律は昭和二十二年五月三日から施行せられ同法に付ては遡及適用すべき旨の規はない然るに本訴に於て效力を爭はれてゐる行政廳の處分たる内務大臣の許可は同法の施行せられる數年前に爲されたものであるから、其の效力を云爲して最早裁判所に提訴し得ざるものと謂うべく從つて本訴は不適法として却下さるべきであると述べ

本案に付請求棄却の判決を求め原告主張事實中原告名議の國籍囘復許可申請が原告の意思に基かず原告の亡父外近藤祿によつて原告名議を冐用して爲されたものであるとの事實は否認しその餘は認る該申請は當時原告が未成年者であつたので父祿が事實上代理して之を爲したものであり原告も右事實を了承の上本訴提起前三箇年以上に亙り日本國民として權利を享有し右許可處分に對する何等の異議も主張しなかつたのであるから原告の本訴請求は失當であると述べ立證として乙第一號證を提出し甲號全部の成立を認めた。

理由

日本國憲法及乙と同時に施行された裁判所法(第三條(尚裁判所法施行法第一條により出訴事項の制限に關する明治二十三年法律第百六號が廢止された點參照)により日本憲法に特別の定のある場合を除いて裁判所は一切の法律上の爭訟を裁判し得ることになつた(被告は日本國憲法の施行に伴ふ民事訴訟法の應急的措置に關する法律を行政廳の處分に對する訴の根據として主張してゐるがこれは誤解である)のである而して原告が日本國の國籍をもつてゐるかゐないかは日本國憲法第十條によつて明かであるように法律上の爭訟であるから其の國籍の有無について現在確認を求める利益があれば國籍の有無の確認の訴を直接利害を有する國を相手方として裁判所に提起し得るものと解するを相當とする勿論國籍の有無を判定するに際しては日本國憲法及裁判所法施行前の個人の公私法上の行爲並に之に牽連する行政廳の處分の效力等が審理されることもあり其の效力は特段の規定のない限り行爲又は處分の行はれた當時の法令により定まるものであることも當然であるが國籍の有無は現在の事項であるから被告主張の如く本訴は法律施行前の事項に其の法律を遡及して適用した場合には該當しないのである(尤も日本國憲法の施行に伴う民事訴訟法の應急的措置に關する法律第八條には行政廳の違法な處分の取消又は變更を述る訴の出訴期間の制限に付規定あるも本訴同法條所定の訴に該當せず從つて同法條の適用なきことも明白である)であるから原告の本訴は適法のものである仍て進んで本案に代審按するに原告が日本人である近藤祿を父として大正十三年十二月二十五日亞米利加合衆國で生れた日本の國籍を留保する旨の意思表示のなかつたことは當事者間に爭ひないから原告は生來取得した日本の國籍を右出生の時に遡つて喪失したものであるところその後原告が日本に住所を有するに至り昭和十七年十月二十二日原告名議の國籍囘復許可申請書が内務大臣に提出され之に對する内務大臣の許可が昭和十八年一月二十八日にあつたことは當事者間に爭ひがないところが證人近藤こうの證言と原告本人訊問の結果とを綜合すると原告は太平洋戰爭開始後である昭和十七年八月其の父母と共に日本に來たが憲兵隊から調べに來るのでこの煩はしさを避けるため原告の父母だけで相談の上原告に日本の國籍を囘復させたらよいだらうといふことになつて父近藤祿が原告には相談もせず原告の知らぬ間に原告本人申請名議の内務大臣宛國籍囘復許可申請書を作成提出したものであつて原告は當時亞米利加合衆國から來住して日猶ほ淺く日本の國籍せ取得し度いといふ意思がなかつたことを認め得られる。乙第一號證は其の成立の眞正なることを認めるに是る證據がないし其の他認定を左右し得る證據はない。

以上認定の事實からすると本件國籍囘得許可申請け尚ほ既に年齡十五年を超えてゐた原告自身の爲したものでもなく原告の父が原告の代理人として爲したものでもなく原告の父が原告の名議を冐用して爲したものであるから前記許可申請は無效であると謂はねばならない。

而して元來内務大臣の國籍囘復許可處分は其の性質上其の許可申請の適法有效なることを前提として之に對し國籍囘復の效力を附與するものであるからその前提である許可申請の無效なることを前認定の通りである以上該許可處分自體に瑕疵がなくとも申請名議人に國籍囘復せしむる效力を生じないものと謂うべく從つて其の後本訴提起迄三箇年以上に亙り原告が日本國民としての權利を享有し右許可處分に對する異議を主張しなかつたことは原告の明かに爭はないところであるが右事實のみで本來日本國籍を有しなかつたものが國籍を取得す理なく結局原告は日本の國籍を有しないものと斷ぜざるを得ないしかも原告が右國籍を有しないことの確認を求める利益の現存することは相手方に於て之を爭ふ本件に於ては言を俟たないので原告の本訴確認請求を正當として認容の訴訟費用の負擔に付民事訴訟法第九十五條第八十九條を適用して主文の通り判決する。

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